私がノート書けなかった頃の話

やっほー!ミラです❤️
みらとお話しして
長年悩んだモヤモヤをスルスル〜っと解決💫
3倍速で理想を叶えるカウンセリングで
一緒に幸せ掴みませんか?💐
みんなノートかけてる?
私もなんとか毎日書けてる✍️
ガッツリ書くのは週に1〜2回だけど、
ベットの横にも手帳置いてて
毎日1分はノートタイム取ってるの🙌
今となっては1年間ノート書けてるけど、
実は今までノート書くの怖かったのです。
ノート書くの怖いって
なかなか無い感情だよね?
でも、私は怖かったの。
なぜなら、私の感情が
文字として残ってしまうから。
学生時代の話になるんだけど、
当時実家に住んでたわけよ。
まぁ実家だとお母さんがいるわけじゃん。
私の母はだいぶメンヘラで、
とにかく子供の全てを知らないと
気が済まないタイプ。
中学生くらいから
母と仲悪くなって
ほぼ話さない日が続いてたのね。
話すとしても言い合いだけ。
そんな母は何をしたか。
私の部屋のもの全てを
片っ端から見てたんですよね。
お母さんに話してなくて
手帳とかに書いてたことを
急に母に聞かれる感じ。
「〇〇ちゃんと遊ぶんでしょ?」
「〇〇ちゃんのお母さんと電話させて」
初彼ができた時は、
勝手に彼氏のお母さんに連絡取ってたり、
別の彼氏に関しては
母は勝手に彼氏に連絡してたこともあったり。
とにかくメンヘラなのですよ!!
しかも、私が捨てたものも
チェックしてからゴミ捨て場に出すレベル。
定期的に捨てたものが
机に返ってくるんだよね。
そんな空間で過ごしてたわけで、
「文字は日本語で残さない」
「紙はシュレッダーかけて捨てる」
「ゴミは基本的に家で捨てない」
こんな感じで
実家で過ごしてきたわけです。
そうなると、必然的に
自分の感情を何かに残すって
めちゃくちゃ恐怖なのよ。
誰かに勝手に見られて
私の感情を否定される。
最初ノート書くの怖すぎて、
癖で英語で書いてたレベル。
日本語だとバレるから、
暗号として英語使ってたのよ😂
母が読んでも
理解できないようにしなきゃ!
ここに囚われていたんだよね。
実家にいる時に精神科通ってて
カウンセラーさんに
「アプリで良いから感情書いて!」って
言われた時も日本語じゃ無理だった。
そんな私が今は普通に日本語で
感情を徒然のままに書いてるけど、
やったこととしては、
①「ノート書くの怖くても良いんだよ」と自分を許した
②「母はメンヘラなだけで悪気はなかった」と母を許した
とにかく許しです!
みんな当たり前のように
「ノート書こう!」って言うじゃん。
1月の私は本当しんどかった。
「書けない私はダメなんだ」
「みんなは怖くないのに私は怖い」
す〜ぐ周りと比べて
自己否定したくなる。
でも、基本的には
私のような経験する人少ないんだよね。
だからノート書くこと自体に
感情が揺れる人は多くない。
たまたま私は怖かっただけ。
ただそれだけのことなのです。
怖いという感情を感じても良い!
変に怖さを取り除こうとしなくて良い!
でも今は安心できる環境にいるのを忘れないで!
こう思えてから、
ノートライフが安心に変わっていきました😌
あと母について。
母もあまり良い家庭環境じゃないし
離婚して1人で家を守ろうと必死だし
仕事で子ども見れず不安だっただろうな。
母は心の勉強する機会がなかっただけ。
最低限、衣食住与えてくれて感謝。
って感じで、受け入れた。
別に「今はとっても仲良し!」ではない。
連絡事項が来ればLINEスタンプで返します。
そのレベルの仲です。
それでも、私の中では
あんなに憎くて仕方なかった母を
少しは受け入れることにした。
たまたま私は運よく心の勉強できただけで、
私も同じような行動を子供ができたらしてたかもしれない。
それほどメンヘラ遺伝子が強かっただけ。
こう思えたことで、
過去の母の行動を自分の中で消化して、
私のノートライフを安心できる環境に変化させました。
もちろん、
これらがすぐできたわけじゃない!
これが1日で思い浮かんでできたわけでもない。
このような感情を
少しずつノートに書いて受け入れました。
ノート書くの怖かったんだけど、
ノートを安心できる環境にしたのもノート。
頭の中でグルグルしてても、
自分の感情を客観的に見れないの。
自分の感情を客観的に見て、
初めて「私」がわかる。
こうやってみんなに私の過去を伝えられるのも、
私の過去を自分で「見る」という行動をしたから。
それだけノートって強力なの。
今は信じられないかもしれないけど、
いずれ私の言ってることがわかる日がくるから。
まずはノートに一文字書いてみてね✍️❤️
LOVE.
みらとお話しして
長年悩んだモヤモヤをスルスル〜っと解決💫
3倍速で理想を叶えるカウンセリングで
一緒に幸せ掴みませんか?💐